極北日記

くまじろうの≪中年向け≫チャレンジ1年生

映画「結婚」を題材に結婚について考えてみた。(注:作品ネタバレあり)

「結婚は忍耐だ」と言って、ハイティーン女子40名をドン引きさせた数学教師のその言葉を、今でも時折思い出します。結婚が幸せのすべてだと思っている多くの女子たちを目の前に彼が伝えたかったことは、頭でわかっていても実際に通り過ぎてみないとわからないことでした。

 

結婚っていったいなんだろう?

先日、親子喧嘩をした際に、ムスコが「家族って何?」と言い放ったので、私にとって家族の始まりは結婚だったので、じゃぁ「結婚って何?」と疑問を掘り下げるのは当たり前な流れであって、そんなことがあったせいか、Amazon primeビデオでこんな映画が目に留まって観ることとなりました。

映画「結婚」

結婚

結婚

 

結婚というタイトルでありながら、作品説明文には「結婚詐欺」の文字がありました。その違和感にも魅かれて鑑賞することになったのですが、前情報も何もなく、なんとなく見始めてしまったことを後悔しました。

 

なんだこりゃ?(以下省略)

 

それが、初見の感想でした。

公式サイト「結婚」

kekkon-movie.jp

 

原作小説は井上荒野(あれの)の同名作品。

結婚 (角川文庫)

結婚 (角川文庫)

 

デジタル化されていたので速読。
登場人物の設定、ストーリー展開が小説と映画では、まるで違っていました。

映画は小説のスピンオフ?セカチュウ的に言うならば「もう一つの物語」系?もしくは別の作品と言ってもいいぐらいに思えました。

作者の父、井上光晴

この作品(小説)は、作者の父である井上光晴の同名作品へのオマージュであるということでしたので、その作品に触れてみたかったのですが、あまりにも古い作品で容易には入手できず、図書館に行く時間がもったいなかったのでググ教授に聞きまくりでした。

朝から映画を観て、調べまくって気づけばお昼。逆に調べている時間がもったいないと思い再鑑賞。

情報を入れてから再観したということもあり「原作」「映画」に共通して「井上光晴」という小説家が作品の中に見えてきました。

自筆年譜では、旧満州旅順に生まれ、4歳の時に帰国。佐世保の崎戸炭鉱で働き、朝鮮人の独立を扇動したとして逮捕されたとしている。ただし、娘の井上荒野は、出身地や逮捕歴などの経歴は例えば「入ってもいない大学に入学した」などとは別の種の虚偽であり父は自分を小説化したのだと語っている。

ウィキペー先生:井上光晴

 

 映画「結婚」を解剖する

夕日を背景に、ボストンバックを片手に横浜の港へやってきた主人公「古海(うるみ)」が浜辺の歌を口ずさむシーンから始まります。

「結婚 それを手にしてない人間はみなそこに幸せがあると希望を抱く。でもそれは本当だろか。オレはその答えをだれよりも知っている」 

このナレーションを背景にタイトル「結婚」の文字が現れたことから、この作品のテーマがやはり結婚詐欺ではなく、結婚であることがわかります。

そして、ターゲットの1人、工藤麻美が登場。

ターゲットは結婚が幸せだと信じている女

「この女も結婚、すなわち幸せだと信じている。そういう女がオレは好きだ」

このナレーションから、金だけが目的ではなく、少なからずそこには好意があることが窺えます。

麻美がいるのは、古海と待ち合わせしているバーのカウンター。隣に居合わせた女に気づかれないように店を出て来いと言う電話の古海。視聴側は当然二股を予想しますし、麻美もそれを問うていました。
ところが、居合わせた女は追いかけて原稿を取り立てに来た編集担当だと名乗り、古海が人気小説化であることがわかります。

偽りの職業「小説家」 

そして、原稿も書かずにデートしていることを言い訳するセリフが、物語のすべてのキーとなります。

「アウトプットするためには常にインプットが必要なんだよ。オレのインプットは本でも映画でもなく、一人の人間としての感情体験なんだ。それがないと生き生きとしたものが書けるわけがない」

その後の展開で、この女は古海とコンビを組んでいる詐欺師のるり子であることがわかります。

 そして、プライベートの女登場。

古海の妻であることが古海のナレーションでわかります。

「しあわせな結婚生活をしているオトコが結婚詐欺を仕事にしている。この皮肉な状況を、オレは結構気に入っていた」

そして、途中で、やたらこの古海のナレーションが多いことが気になり、ここに何かが隠されていることを推測。

以下、ナレーションだけを拾い集めてみます。

「角を曲がり続けるといつかは行き止まりになる。でも、それはまだ今じゃない」
「この花はいつか自分が枯れると知っていたのだろうか」
「この写真がいつどこで撮られたものなのか、オレにはわからない」
「小説家と称して、オンナをだます以上、ちゃんと小説を書いてみようと思った」
「始まりはいつも楽しい。この世界が始まりだけでできていればいいのに」
「オンナを騙すときはいつも、かわいいと思うところから始まる」

そして、物語中盤からナレーションは目立たなくなっていきます。

 詐欺をする理由

るり子との会話から、古海が詐欺をしている理由がわかります。

「俺がなんのために(詐欺を)しているか、教えてやろうか」
「オンナたちの喜ぶ顔を観るのが好きなんだよ」
「結婚が目の前にあるってわかったとき、オンナは本当に幸せそうな顔をする。こっちまでうれしくなるくらいに」

るり子はそれに対してこう返しています。

「後で泣かせても?笑顔の代金が100万円、ステキ」

 

詐欺をする原動力

時折フラッシュバックのように射し込まれる回想シーン。

幼少期の古海と思われる写真の少年と一緒にいる初音に似た女性のセリフ。
「わたしね、結婚するの」「わたし、しあわせになるの」 

このことから、この女のセリフが古海の行動(詐欺)の根源にあることが推測されます。

その後物語の展開は、騙された女の1人が探偵事務所に古海の調査依頼をしたことをきっかけに、騙された女たちが次々と集結し、消えた古海を探す流れとなります。また、古海サイドでは、詐欺のクロージングをしている所に遭遇してしまった柊との出会いから、自分の生い立ちを解明していく流れとなり、この2つの軸が同時進行していきます。

そして衝撃の事実が発覚していきます。

始まりの前には終わりがある

柊の善意から古海の生い立ちについて調査することとなります。その調書に目を通したことで幼少期の記憶が繋がった古海は、妻へすべての事実を告白します。

「俺、営業の仕事なんてしてなかった。ほんとは、詐欺をやってたんだ。オンナをだまして金をとって、その金で暮らしてた、君も俺のカモだった。その指輪は三千円の偽物だ」

お気に入りの物語の終わり

指輪をじっと見つめた後、妻初音が返します。
「そんなこと、知ってたわよ。そう、あたしの役目は終わったのね。で?あなたが探してたものは見つかった?あなたとの結婚生活、楽しかった。でも、これは所詮お遊び、あなたの頭の中にしかないのよ。可哀そうな人。結婚詐欺でしか女と出会うことができないなんて。ただの想像なんだから、しあわせな出会い方をしたかった
その瞬間、初音は消え、部屋の様子が殺風景に変わっています。

つまり、妻との結婚生活は想像。すなわち古海の作り出す小説の中の物語だったのです。探していたのは写真の記憶と初音に似た女の記憶。そこをモチーフに小説を書き始めた後「角を曲がり続けた先の行き止まり」の末、物語の中でさえ女を幸せにすることができなかったという落胆を味わいます。そして、一つの物語は終わりを迎えました。

妻との生活のシーンには、マスカットを食べる古海が必ず登場します。初音が消えた後、本来の殺風景な古海の部屋の中にぽつんと残されていたのは、食べ終わったマスカットの空の房だけです。

時折キーワードとして出て来る「始まり」と「終わり」。このモチーフとなっていた一つがマスカットではないでしょうか。

 俺の物語の終わり

柊と世界一周旅行へ向かうため港に来ていた古海のところへ、だまされた女たち4人が駆け寄ります。古海は女たちに言います。

「君たちには幸せを提供したはずだ」

それでもただ謝罪しろという女たち。始まりの幸せではなく、その先にある普通のしあわせが欲しかっただけだという女たちに、古海は気づきます。

「結局俺は、誰も幸せにはできなかったんだな」

 初音だけでなく、他の物語すべての女も幸せにはできていなかったという絶望を抱え、暗い海へと投身します。

「これが、俺の物語の結末だ」

永い時間暗い海の中を沈んでいきますが、柊の声が聞こえ目を見開き目覚めます。

「始まりの前には、終わりがあるのね」

 古海の生い立ち

始まりを思わせる古海の表情を残して、物語は、柊の説明による古海の生い立ちの謎の回収と、何度もフラッシュバックされた幼少期のシーンの全貌へと流れます。

柊が説明の証拠として女たちに提示した新聞の記事

見出し「母親、わが子を殺そうとして未遂」
初音に似た女の写真「古海佐知子容疑者」
本文「4歳の長男を海からつき落として殺害しようとしたとして、香川県南香川警察署は8日香川県流川市若葉町の古海佐知子容疑者(31)を殺人および傷害で逮捕した。署の調べによると、古海容疑者同日午後、長男の肩を突き落として殺害しようとした疑い。」

フラッシュバックされていたシーンが繋がり、殺害の動悸と方法が明らかになります。

 海を背に手すりに座らされた古海と、そこに向き合って立つ佐知子
佐知子「お別れね。あたしね、結婚するの」
古海「結婚?」
佐知子「ワタシね、しあわせになるの」
 抱きしめられ笑顔を見せる古海。
 ゆっくりと体を離した佐知子の手が、古海の肩を勢いよく突き飛ばす。

 浜辺の歌を一曲歌い終えると、笑顔を浮かべて振り返り、歩き出す佐知子。

 そして始まりへと繋がる

千葉県木更津 干潮を迎えた江川海岸に打ち上げられた古海。

浜辺の歌を歌いながら歩き出しますが、途中初音が現れ微笑みかけます。
古海が別れを告げると初音は消え、再び古海は歩き出します。

干潟のヘドロに落ちている幼少期の写真の遠く後ろに、歩き続ける古海。そしてナレーション。

「俺の結婚についての物語はここで終わる。次はどんな物語が始まるのか、それは俺にもわからない」

エンディングから繋がるラストシーンは、それまでとは違うさわやかなイメージで、地下道を歩き続けている古海の後ろ姿が続きます。

映画「結婚」についてのまとめ

そして、物語の一部としてディーンが制作したという主題歌「Permanent Vacation」(意味合いは英語で永久的な休暇という意味。レイオフ(一時的な解雇)、解雇、退職、休学、退学、卒業など。)

『朝がきたらどこへむかうのか きっとオレにはわからないまま』

やたらこのフレーズだけが耳に残るエンドロール。ラストの歌詞だけが「きっとオレにはわからない」と言い切っています。

この古海という男は、生涯かけて小説家だった原作者の父、幼少期のあだ名「嘘つきみっちゃん」こと井上光晴と重なります。

この映画から受け取ったことは、小説家でさえ、自分の物語(人生)の結末はわからないままだし、きっと永遠にわからないまま終わりを迎えるし、古海=井上光晴にとっての嘘は物語を面白くさせるためのスパイスであり優しさでもあることなのだということでした。

自分にとっての結婚とは

人生は自分が創り上げる物語だとするならば、結婚も単なる物語の一部であって、そこに幸せを求めるのはバカげています。

結婚は忍耐であるといった冒頭の数学教師も「永遠に忍耐が続くかなんて、誰もわからないしことだし、それは自分次第でもある」と付け加えるべきだったと、今となっては思います。

我が夫婦にとっての結婚なんて、夫婦間でさえ価値観に相違が生じていたはずで、結婚生活を続けている中でさえ、お互い変わり続けているはずです。それを、常日頃確かめ合うほどお互い暇ではなく、何より自分という物語を進めていくことに必死です。それぞれ、結婚という物語の続編「家族」という物語を製作していかなければならないわけですから。

結婚という物語の終わりは「別れ」で終止符を打てることだけれど、一度始まった「家族」という物語は形は変わって(解散して)も終わりません。そこに女たちの言った「普通のしあわせ」を作り上げていくだけのことではないでしょうか。何が普通かなんて、作者である自分だけの基準でしかないはずですし。

相手を幸せにしようとか、幸せにしてもらおうなんてことは、物語の作者としては視点がブレているわけで、「結婚」すなわち「物語を作り上げていく生の体験の一つ」に過ぎないことを忘れてはいけないと思います。

たとえ小説家になる事は無くても、古海のようにどこに発表するわけでもない自分だけのための物語は一生かけて大事に作り上げていくべきです。「神の視点」と言われる小説家や脚本家の視点は、人生におけるしあわせになるための視点(俯瞰力)だと私は思います。

この映画は、言葉を扱える動物に生まれた以上、生涯かけて自分の物語を作り上げることに勢力をそそぐことを忘れてはいけないと、感じさせてくれた作品でした。

記事をまとめていると、結婚に対する価値観がどんどん変わっていきました。

結婚を題材とした物語は必ず書かなくてもいいし、ましてやひとつの作品にこだわらなくてもいいのではないでしょうか?

 

 

長々とお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

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